●研究発表(1‐1)「ロビン・フッド映画 ― その研究史と映画史的位置づけ」(仮題)

  • 岡田尚文(慶應義塾大学他非常勤講師)/司会:碓井みちこ(関東学院大学専任講師)
  • リドリー・スコット監督の『ロビン・フッド』(Robin Hood, 2010)は久しぶりに公開されたロビン・フッド映画として記憶に新しい。いうまでもなくロビン・フッド物語は、アーサー王伝説やジャンヌ・ダルク物語と並び、サイレン期から頻繁に映画化されてきた中世的題材であり、50本前後の関連作品が存在すると推定される。しかし日本ではこれについて、ダグラス・フェアバンクスやエロール・フリン、ケヴィン・コスナーそしてラッセル・クロウら、その時々のハリウッド・スターが主演した作品、あるいは有名監督が手がけた作品を通してしか検証されてこなかった。よって本発表は、まず欧米においては盛んであるロビン・フッド映画研究の成果を概観し、これを以って上記空白を補うところから始めたい。大きく分けて、従来の研究は、そのときどきの社会情勢(第二次大戦、赤狩り、冷戦、湾岸戦争)との関連を指摘するか、歴史学的な観点から、中世のバラッドにおけるロビン・フッド像との異同を指摘するかのどちらかであるように見える。次いで、これらの先行研究を踏まえた上で、新たな視点から検討を試みる。即ち、ロビン・フッド映画に対する映画史的側面からの考察である。特にサイレント期からトーキー化、カラー化、ワイド・スクリーン化、コンピュータ・グラフィックスの導入といった技術的変化を経て、当該主題の表象はどのように変化したのか(していないのか)について考察する。

●研究発表(1‐2)「「白人」になる ― コロニアル・フェアリーテイルとしての『アリス・イン・ワンダーランド』」(仮題)

  • 新屋敷健(大阪大学他非常勤講師)/司会:碓井みちこ(関東学院大学専任講師)
  • ティム・バートン版『アリス・イン・ワンダーランド』(2010)は、主人公の10代のアリスがアヘン戦争後の中国に貿易会社の見習いとして旅立つという独自のエンディングが、植民地主義的との批判を浴びている。その一方で、本作の娯楽映画としての側面を強調し、この結末は歴史的事実とは無関係との擁護もなされている。しかし監督自身は、この映画を『オズの魔法使い』のようなフェアリーテイルの典型だと述べている。だとすれば、このエンディングを文字通りに捉えて批判するのでも、娯楽作品としての側面を強調することで免罪することでもなく、むしろコロニアル・フェアリーテイルとしてメタフォリカルに読解することで、本作の植民地主義的特性がどのような意味をもちうるのかについて考察しなければならない。本論点を、映画の原作小説家ルイス・キャロルの2作品や『PLANET OF THE APES ― 猿の惑星』(2001)や『チャーリーとチョコレート工場』(2005)などバートンの過去の映画作品と比較して検討する。

●研究発表(2‐1)「ソヴィエト映画の出発点―帝政期ロシアにおける初期フランス映画と音の共鳴」

  • 大傍正規(早稲田大学演劇博物館GCOE研究助手)/司会:佐野明子(桃山学院大学専任講師)
  • 1920年代に黄金期を迎えたジャンル映画、スラップスティック喜劇映画が、近年、再検討されている。中でも、フランスの「初期サイレント・コメディ特集」を組んだ第29回ポルデノーネ無声映画祭(2010年)は、ピアノ伴奏付き上映で、無声喜劇映画の中に潜むバーレスク(寸劇や踊りや曲芸を含む大衆芸能)の記憶をわれわれに呼び覚ましてくれた。「風を送るふいご」を語源とする道化(fool)が「音」を想起させるように、サイレント期の喜劇映画における道化役者たちの痙攣する身振りや手振りは、しばしば「音」と共鳴しているように感じられる。当時の上映空間においても、笑いの効果を増幅させる「風雨」や「雷鳴」の音響、また「列車の音」や「お皿が割れる音」などの擬音効果が、日常を非日常へと転換し、秩序を無秩序へと変容させる力を喜劇映画に与えていた。本発表では、帝政期ロシアにおいて発行されていた映画雑誌『シネ・フォノ』や『キネ・ジュルナル』を繙きながら、当時、圧倒的支持を受けていたフランスの喜劇映画が、音響効果や伴奏音楽とともに観客に受容されていたことを確認した上で、無声喜劇映画に見られる(音とともにある)道化的世界観が、帝政期ロシア初の劇映画『ステンカ・ラージン』(1908)における空間構成や身体表象のみならず、政治的、イデオロギー的体制の著しい転換を遂げたソヴィエト誕生時の劇映画に見られる抽象的な混沌空間の造形にも再利用されていたことを当時の映像に即して明らかにしたい。

●研究発表(2‐2)「日本映画史から忘却された石田民三監督の全貌解明」(仮題)

  • 佐藤圭一郎(京都大学大学院人間・環境学研究科修士課程)/司会:佐野明子(桃山学院大学専任講師)
  • 日本映画(芸能)史上で優秀な映画作家、石田民三の作品とその生涯はこれまで謎に包まれていた。石田民三は1901年に秋田の酒造業者の三男として生れ、進学のため上京した大正期、演劇と江戸趣味に出会う。とりわけ江戸趣味は明治ノスタルジアの映画やその後の人生(映画界引退の理由など)に反映しているという意味で重要である。地方回りの劇団から1924年に東亜キネマ俳優部に入社、東亜とマキノとの合併と合併解消の騒動のなかで監督への転身を決め、1926年には監督デビュー作『愛傷』を発表。その後、帝国キネマ、新興キネマに移籍し、『おせん』や『お伝地獄』、『明治十三年』といった独自の「女性映画」を作ることになった。「明治物」といういまだ不分明の映画ジャンルを溝口健二とともに開拓していったのも、この時期である。東宝入社してからは『花ちりぬ』や『むかしの歌』といった代表作を発表。また『花つみ日記』は外観と内実の齟齬を主題にするものの、たんなる「少女映画」としてしか評価されなかった。その後、戦時体制のなかで娯楽映画を任されることになって、不本意な作品も数多く作ることになる。1943年に監督した『あさぎり軍歌』も当時から現在に至るまで日本映画史上黙殺され続けているが、本作は石田民三の集大成的映画であり、本作にみられる情痴と時局の拮抗は正しく反戦映画と定義されるべきである。戦後は劇映画を1本監督したのち映画界を去り、京都市内の上七軒でお茶屋の主人として悠々自適の生活を送ったと語られるのみであるが、映画界引退は創作意欲の減退ゆえと理解されてはならない。1952年には「北野をどり」を創設し、その後20年にわたって作劇、演出に尽力した。「北野をどり」には彼の映画同様、近代とノスタルジアという主題が追求されている。1960年には『古代の奈良』という異色の記録映画を監督し、映画作家としての健在ぶりを示し、石田の映画界引退が創作欲の減退によるものではないことを証明している。