日本映画学会会報第3号(2006年5月号)

●視点 映画的テクストの振動

波多野哲朗(日本大学芸術学部教授)

 クロノロジカルな記述の映画史では必ずしも捉えることの出来ない映画への眼差しの変化、あるいはその眼差しの変化の土壌となる欲望の変遷をたどるにはどうすればいいか。そのためには映画と映画とをつなぐ豊かで複雑な関係が見出されねばならないのだが、際限なく広がるその関係を取り押さえることは容易ではない。それを限られた一時代の映画についてではあるが、その全貌を一挙に取り押さえようしたのが、ジークフリート・クラカウアーの著書であった。しかしいかに綿密であっても映画を現実の忠実な鏡と見なす彼の作業は、結局かずかずの映画の意味を解釈し、最終的にはそれらを一時代の支配的な観念、あるいは一つの現実的な意味へと還元することでしかなかった。そこには不可避的に強引な解釈が入り込み、それ以外の眼差しや欲望を抑圧する。
 映画をめぐる眼差しや欲望が、たとえ時代的な偏向や支配を免れ得ないにしても、それらを現実的な意味へと向かう直線上に配列するのではなく、それらが多様多彩な関係をとり結び、ときには時代をへだてて連繋したりする有様を見とどけねばならない。むろんその作業は、映画というジャンルの枠組みを超えて、広大な領域に踏み込むことになるだろう。しかし私はその広がりを、クラカウアーのように大衆の社会心理として回収し、映画への眼差しや欲望を状況一般の問題に還元できるとは思わない。映画的事件は現実的な意味に還元できるほど透明ではないからだ。とは言え、映画への眼差しや欲望は、映画に隣接するさまざまな文化の領域にも通底し深く根を下ろしている。さまざまな文化領域とは、たとえば同時代の文学であったり、美術であったり、演劇であったり、音楽であったりもするのだが、そこに踏み込んでみると、ジャンルを超えて共有される眼差しや欲望の在りようがはっきりと見て取れるのである。
 ところで、映画という領域を超えて共有される眼差しや欲望がある一方、映画から映画へと引き継がれる眼差しもまた存在するはずであり、その固有の流れを無視することはできない。いわば映画に対するこの通時的なアプローチと共時的なアプローチは、映画というテクストを貫く縦糸と横糸のようなもので、いずれを欠かすこともできない。映画『ポチョムキン』を例にあげよう。あの映画を特色づけるモンタージュは、メリエスにはじまり、ポーターなどを経て、グリフィスによって映画の方法として確立したモンタージュという縦糸の延長線上に位置づけられる。事実、エイゼンシュテインはグリフィスの『イントレランス』に触発されて、そのモンタージュをより精密で一般的な映画的言語として自立させることを目指したのであった。
 しかし一方『ポチョムキン』は、こうした映画史の流れとは無縁の横糸、ロシア構成主義の一展開でもあった。むろん構成主義はさまざまな領域に広がっており、そこにはマヤコフスキーの詩もあれば、マーレヴィチやタトリンの美術があり、またロドチェンコやリシツキーのデザインがあり、メイエルホリドの演劇がある。しかしそれらを貫く構成主義の基本的な態度は、自然主義的な再現を激しく否定し、自然の持つ先験的な意味を排除するためにマテリアルの連続性を解体し、断片化して、それらが固有の意味を失うまでに細分化し、均一的・中性的な単位とすること。そしてこのニュートラルな単位の結合や構成によって、一つの新しい世界を作る、というものであった。したがってそれらによって作られる作品世界は、マテリアル自体によってではなく、マテリアル相互の関係によってこそ規定される。
 ところでロシアのモンタージュ主義は、上の文章の「マテリアル」の部分に「ショット」という言葉を、「構成主義」の部分に「モンタージュ主義」の言葉をあてはめれば、そのままほぼ正確な定義となるだろう。エイゼンシュテインのモンタージュは、構成主義的原理のまさに映画的な顕現であった。実際エイゼンシュテインは、美しいピアノ演奏のような映画作りを理想とした、とみずから述べている。なぜならピアノの各鍵盤から発せられる音は、均一に分節化された音の中性化された単位であり、どのようにすぐれた演奏もその単位の結合(=モンタージュ)の仕方によって生まれるからである。ジガ・ヴェルトフのモンタージュもまた同様、構成主義の映画的な顕現であった。エイゼンシュテインがおもにメイエルホリドを介して構成主義的思考へと導かれたのに対し、ヴェルトフの場合はマヤコフスキーを介して構成主義的思考へと導かれた。(参考:スターリン政権下、構成主義=形式主義は激しい批判の的となり、マヤコフスキーは1930年に自殺、メイエルホリドは1940年ごろ逮捕されたのち粛清)
 ここに見てきたように、あのエイゼンシュテインの映画は、モンタージュの発展という映画史的な文脈(縦糸)と、構成主義という文化的潮流(横糸)との交点に出現したのだった。いやここに示したのはとりあえずの縦糸と横糸であって、映画というテクストははるかに多数の糸によって織りなされているのだろう。だが私が最後に言いたいのはそのことではなくて、個々の映画というものが、こうした必然の縦糸・横糸の交点上に位置しながらも、絶えず振動することでその交点からずれようとし、ときには激しく交点から逸脱してしまうことがあるということであった。そして実は、ここにあげたエイゼンシュテインの『ポチョムキン』やヴェルトフの『カメラを持った男』といった映画がその典型的な例であり、しかもその逸脱がこれらの作品の魅力的にしていると思われることである。これらの映画は、その作り手たちがみずからの映画について語ったその言説さえもしばしば裏切っている。エイゼンシュテインは、「アトラクションのモンタージュ」を主張して、構成主義から手に入れた単位という考えを平気で無視してしまうときもある。しかし彼の逸脱はかならずしも恣意的ではなく、彼がほとんど生理的とも言えるような独自の技法とスタイルを持っていて、それに固執するときに引き起されるのであった。ヴェルトフもまた同様で、彼の映画の1ショットは、ときに彼の主張する「機械の眼」を離れて、じつに情感豊かな主観的ショットとして立ち現われるのである。
 しかし、いまここでとりあえず「生理的」と呼んでいるものについて、今後さらに分け入っていかなければならない。「独自の技法とスタイル」といった言葉に留まるわけにはいかないからである。


●視点 『SAYURI』:カルチュラル・スタディーズ試論

元山千歳(京都外国語大学外国語学部教授)

 『SAYURI』(2005)を批評しはじめるとすぐに、その物語内容から蝶々夫人系映画を思い起こすが、もちろんその原型は、プッチニーのオペラ『蝶々夫人』にある。没落武士の15歳になる娘バタフライは、アメリカ人ピンカートンに献身的につくすが、その身はゲイシャゆえ愛はみのらず、悲劇の最後を遂げる。1904年2月17日、ミラノ・スカラ座初演だが、すでに1915年のアメリカ映画『蝶々夫人』にはじまって、1995年のミッテラン監督映画にいたっても、プッチーニのテキストの映像化はつづいている。バタフライ映画は、映画の歴史と同じくらい古く、『SAYURI』はその21世紀バージョンだ。サユリの思う男は白人ではないが、『蝶々夫人』というテキストのネットワークにおいて、『SAYURI』は<ゲイシャとハリウッド>というバタフライ物語なのだ。
 バタフライ/ゲイシャ物語はオリエンタリズムに貢献するテキストであり、オリエンタリズムはサイードによると1800年代中葉には確立していた研究分野だが、その頃、つまり近代日本の夜明けを題材にしたゲイシャ映画に『黒船』(The Barbarian and the Geisha 1958)がある。黒船はオリエンタリズムに絡む植民地主義の表象だが、撮影ロケは日本、タウンゼント・ハリス役に国民的西部劇ヒローのジョン・ウェインという豪華さで、下田駐在の総領事として日本に到着したハリスとお吉の恋物語だ。歴史事実からするとお吉は芸者ではないが、映画では、ハリスに恋するゲイシャお吉の悲恋物語となっている。オリエンタリズムとは、抑圧された西洋的欲望の学問分野への投影である、と力説するのはサルダーなのだが、黒船のハリス/ウェインは、ゲイシャという身体という日本の領地を欲望し開こうとする、西洋である。
 同じ50年代、舞台を戦後の沖縄に移したバタフライ物語が『八月十五夜の茶屋』(The Teahouse of The Auguat Moon 1956)で、ゲイシャ役の京マチ子が踊る日本舞踊は華麗だが、ともあれ村を訪れたアメリカ人大尉に村人たちは敬意と服従の念をこめて、虫籠、箸、下駄、亀の卵、みそ汁椀などさまざまな贈り物をする。驚くべきは、こんな贈り物に混じってゲイシャ(京マチコ)が贈られたことだ。たとえばダウアーは『敗北を抱きしめて』(2000)のなかで、「驚くべき数の贈り物や招待状が最高司令官に向けて滝のように降り注いできた。人形、ランプ、陶器、漆器、竹細工、封建時代の書、書籍、盆栽、盆景、動物の毛皮、鎧、刀、絵画・彫刻にいたるまで、さまざまな物をマッカーサーは受け取った」と記す。1951年4月11日、トルーマン大統領の時代、不服従を理由に国連軍司令官を解任されるマッカーサーだが、1956年制作のこの映画は、GHQとパンパンを思わせるほど、国家的で性的な<オリエンタリズム/植民地主義>の主従関係を構築している。
 ここでわれわれは、いささか唐突かも知れぬが、たとえばハンニバル・レクターを思い起こそう。精神分析医の権威でもあるレクターがはじめて登場するのは1981年、ハリスの小説『レッド・ドラゴン』だ。やがてこれが映画化され1986年にマン監督映画『マン・ハンター』に。2年後の1988年、小説『羊たちの沈黙』、1991年にデミ監督映画『羊たちの沈黙』に。やがてレクターは2000年に小説『ハンニバル』、2001年にスコット監督映画『ハンニバル』、そして2002年にラトナー監督映画『レッド・ドラゴン』に登場する。1981年から2002年にいたる21年間にわたってレクターは構築されつづけ、その意味が問われつづけてきた。アンソニー・ホプキンスの言葉や身振りはもちろん、ありとあらゆる多元テキストの交差のなかでレクターは時の壁を越えて造形されつづける。
 つまるところ映画は、特別なジャンルの城壁内にあるのではなく、テキストとして他のテキストを脱構築しつづける。すべてテキストはインターテキストとしてあり、このテキスト交差に、オーディエンスの身体もまたテキストとして関わり、意味を生産しつづける。
 『SAYURI』はゴールデンの小説(Memoirs of a Geisha 1997)の映画化だが、この二つのテキストは、地政学的、美学的、文学的、経済的、政治社会的、歴史的テキストに交差し、いやさらに細密に言えば、ペリーの来航とそれにつづくハリスと唐人お吉、ジャポニズムと貞奴、GHQとパンパン、京都祇園と政治、ハリウッドと『黒船』『八月十五夜の茶屋』などさまざまなテキストに多元的にかかわりながら、オーディエンスという意味生産の現場へと収斂していく。
 だからたとえば『SAYURI』の物語内容分析、あるいは美学的構造分析だけに専念するならば、われわれは身体的に、オリエンタリズム構築の一助となり、このことにカルチュラル・スタディーズは批判的でなければならない。とういうのも吉見のいうように文化は「表象の戦場」であり、それは「さまざまな不平等、差別と排除を伴って政治的に構築される」「詩学=政治学的な場」であり、だからここにあってオーディエンスは、映画批評を自らのアイデンティティ・ポリティックスの場に仕掛けていかなければならないからである。


●新入会員紹介

  • 野辺優子(東京外国語大学大学院地域文化研究科博士後期課程)ベトナム映画史/仏越比較映画論
  • 姫野 諒(京都大学大学院人間・環境学研究科修士課程)恐怖映画
  • 平井克尚(京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程)ドイツ映画

●会員消息(2006年4月1日付)

  • 碓井みちこ(早稲田大学演劇博物館助手[映像部門])
  • 小川順子(中部大学人文学部専任講師)
  • 加藤幹郎(京都大学大学院人間・環境学研究科教授)
  • 河原大輔(京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程)
  • 藤岡篤弘(GALLERY便利堂)
  • 森村麻紀(早稲田大学COE特別研究生)