日本映画学会会報第25号(2010年11月号)

●日本映画学会会員のみなさまへのお知らせ


●視点 韓国映画についてはまだ多くのことが語られぬままになっていること

佐野正人(東北大学大学院国際文化研究科准教授)

 2000年代の前半に「韓流」ブームが日本を席巻し、その波が2004年から2005年を頂点として徐々に退潮してからは、「韓流」ドラマ、映画についてマスメディアで取り上げられることは少なくなっているように見える。ドラマについてはそれ以後も多くの固定ファン層を持って地上波でも『イ・サン』などのドラマが放送され、またBSなどでは多くの韓国ドラマが放送されているのに比べて、韓国映画については語られる事は少ない。そこにはおそらくドラマとは違って韓国映画に接近するのに若干知的な予備知識を必要としているという事情が関係しているように思われる。日本においてもっとも興行成績がよかった韓国映画が『私の頭の中の消しゴム』であったように、ラブストーリー系のメロドラマはある程度の成功を収めているが、その他の大作映画や韓国国内で興行に成功した映画が日本で成功した試しはない。例えば朝鮮戦争を扱った『ブラザーフッド』が日本で期待されたような成績を上げられなかったのを始め、これまで韓国国内で最高の興行成績を挙げたポン・ジュノの『グエムル 漢江の怪物』が日本ではほとんどヒットしなかったことを挙げられるだろう。
 そこには一つには韓国と日本との文化的な背景の違いが存在し、映画をめぐる多くの文化的差異が存在している。このことを追求するのは文化研究(Cultural Studies)の興味深いテーマとなりそうだが、この小文では両国の文化的差異についていくつかの指摘を行っておきたい。
(1)韓国映画の成長の種は1980年代に蒔かれていること
 韓国映画がブレイクしたのは1998年の金大中政権の出帆後のこと、具体的には1999年の『シュリ』の大ヒット以後のこととなるが、実は韓国映画がブレイクする種は1980年代に蒔かれている。1984年には韓国映画振興委員会付属の教育機関として韓国映画アカデミーが開校している。この映画アカデミーは製作実習を中心とした現場教育を重視したもので、これまで24期で438名の卒業生中、60名を越える長編映画の監督を生み出している。第1期生にはポン・ジュノ監督がおり、他にホ・ジノ(『四月の雪』)、イ・ジェヨン(『スキャンダル』)、イム・サンス(『懐かしの庭』)などを輩出している。
 この1980年代が全斗煥軍事政権の下で民主化運動が広く行われた時期であることは韓国映画に関心のある者には周知の事実だろう。特に大学を中心として行われた民主化運動は、政治的な運動以外に民族的な文化やアイデンティティを問う文化運動としても存在し、彼らが後に386世代と呼ばれる韓国映画のニューウェイブを担う世代となったことは言うまでもない。386世代とは30代で、80年代に大学に入学し、60年代生まれと言った意味の語であるが、このうちで1980年代に大学に通ったということが彼らの世代的な経験の中心となっているわけである。韓国映画はそういう意味で、1980年代的な経験を母体として、その後の民主化の過程を主体的に担ってきたと言えるのである。
(2)韓国映画は批評的であること
 彼ら386世代の関心の中心がだから、韓国という国の歴史とアイデンティティを批判的に再考し、北朝鮮との南北関係に新たな視点から接近するということにあったのは不思議ではない。『シルミド』、『共同警備区域JSA』、『トンマッコルにようこそ』などの南北関係をテーマとし、そこに批評的な視点を持ち込むのはそのような386世代の世代的な経験を抜きには考えられないのである。
 そういった南北問題を扱った映画は問題自体によってその批評性のあり方は分かりやすいのだが、むしろ問題はその他のジャンルの映画にある。詳しく述べることはできないが例えばポン・ジュノの『殺人の追憶』や『グエムル 漢江の怪物』、『母なる証明』には時代への批評性が色濃くあり、世代的な経験を想起させる強いメッセージがある。また、パク・チャヌクの『オールドボーイ』も原作は日本の漫画であるものの、監禁と復讐という時代的なメッセージを呼び起こすコードが存在している。その辺の世代的な経験への強いメッセージということが、日本の観客に受け入れられにくい要素となっているのだが、そのコードを読み取れれば韓国映画が強く知的な批評性を持っていることは、きわめて興味深いものとなるのである。
(3)韓国映画はジャンル・ミックス的であること
 上の批評性とも関連しているが、韓国映画はジャンル映画に馴染んだ者にとっては奇妙な印象を与えるものが多く存在している。ポン・ジュノの『グエムル 漢江の怪物』が典型的だが、怪物映画というジャンル性を期待して行った観客には失望を与えるものとなっている。この『グエムル 漢江の怪物』は家族を扱ったファミリーロマンスでもあり、米軍を風刺した風刺映画でもあり、コメディ映画でもあり、また韓国の世代的な経験を喚起する要素をも持っているというたいへん複雑な要素が絡み合っている映画であり、その多層的な構造のために観客1300万人という最高記録を達成したと考えられる。
 どんなに深刻な状況でもギャグを忘れないという韓国人の気質にも関連してはいるが、むしろ沖縄文化が「チャンプルー文化」という混成的な文化であることを想い起こせば、それと共通するような混成性が韓国文化にはあり、それをより批評的に用いているという印象を受ける。「ビビンバ文化」とでも言おうか。
 『グエムル 漢江の怪物』に限らず、韓国の映画の多くはジャンル・ミックス的であり、それをむしろ積極的に活用していることが観察すれば見てとれる。『猟奇的な彼女』などでも劇中映画という形でアクション映画、時代物映画を取り入れ、コメディ風にアレンジしているが、他の映画でもその気になればいくつでも見つけられるだろう。皆さまもどうぞ発見してみて下さい。
(4)韓国映画文化の裾野は驚くほど広く深いこと
 韓国映画を先導しているのは先述した韓国映画アカデミーであり、また1990年に開校した韓国芸術総合学校であるが、その他中央大学校、漢陽大学校、東国大学校などの各大学に演劇映画学科が存在しており、ほとんどの私立大学には映画学科が存在すると言っても過言ではない。映画学科を設置している大学は現在100校を越えているそうである。
 「韓流」を主導しているような映画人は概ね上で挙げた韓国映画アカデミー、韓国芸術総合学校、そして中央大学校、漢陽大学校、東国大学校(以上が映画学科のBIG3)の出身が多いが、しかし映画という複合的な産業=文化を支えている多くの人材はそれ以外の多くの大学の映画学科卒業生である。映画学科は概ね競争率が高く、人気が高い学科となっている。彼らは韓国映画の裾野を支え、産業=文化としての活性化に大きく寄与している。おそらく「韓流」の成功はその全国各地にある映画学科の存在に拠っているとも言えるだろう。日本が「韓流」の成功に学ぶべき点があるとしたら、早く各大学で演劇映画学科の設置を急ぎ、広く深い映画産業=文化の育成に努めるということであるに違いない。韓国において映画はIT分野と並んでもっとも活性化している産業=文化であるのである。成長の見込まれる分野に集中投資するという韓国の戦略が映画を韓国の代表的な産業=文化へと押し上げた。我々日本人の韓国映画から学ぶべきことはまだまだ多いのである。


●書評 黒沢清、四方田犬彦他編集委員、加藤幹郎、小松弘他編集協力『日本映画 は生きている 第一巻』(岩波書店、2010年)

山崎隆広(群馬県立女子大学文学部専任講師)

 「日本映画」と聞いて、人は何を想起するだろうか。例えば、近年の海外映画祭における邦画作品の躍進を見て、浅薄なオリエンタリズムには依拠しない日本映画の新しい理解者の登場を言祝ぐ人は多いかもしれない。あるいは、テレビの人気ドラマから次々にスピンアウトされる作品群から、もはやテレビと映画の垣根などほとんど意識することもないというオーディエンスも増えているだろう。またある人は、アメリカのシネマコンプレックスを寸分違わず再現したかのような近年の日本の劇場空間の在りようを思い浮かべて、塩せんべいと煙草の匂いが充満するかつての劇場と炭酸飲料とポップコーンの甘い匂いに満ちた最近の劇場との違いに隔世の感を覚えるかもしれない。
 論及する対象が「日本の映画」と規定されることで、どうしても映画の生産と受容の在り方についての日本と世界との比較となりうることは逃れられないにしても、そもそも映画が文化的な構成物である以上、影響を受けるのは政治、経済、文化における日本と世界との関係性を反映する作品の内容のみならず、映画を上映する技術の様相もまた同様に注視しなければならないのは当然である。つまり、「日本映画」もまた不変たりえず、作品の内容とそれを支える技術インフラの両面から動的な視点で捉えることのみによってしか、理解できないはずのものなのである。  
 本書は、変容する日本映画の在りようを内的外的要因の諸相から分析する意欲的な全集の第一巻であり(以下「本全集」と略す)、近現代の日本映画が直面する諸問題を歴史、文化、テクノロジーなどの諸側面から重層的に分析する10本の論考と2本の短いエッセイによって構成されている。映像や出版をはじめとするメディアの技術史を研究する者として、まずはこのような労作が全8巻という大部のシリーズで刊行されることを大いに喜びたい。近年のデジタル化、多メディア化の流れによって映画の受容のされ方も日々多様化していくなかで、映画の研究と製作の現場に携わる人々の双方が集い、作品の内容と技術の両方に軸足を置きながらこのようにまとまった論考が提示されることは、ひじょうに重要な意義をもつといえる。
 まず冒頭の四方田犬彦論文では、シリーズの幕開けとして、編集委員の一人でもある著者が、この20年間における日本映画の変容を概説する。2010年に刊行が開始された本全集が参照すべき先行研究として、四方田は25年前にまとめられた『講座日本映画』(1985-1988年)を挙げる。『講座』は鶴見俊輔、佐藤忠男という「思想の科学」編者でもあった研究者と、新藤兼人、今村昌平、山田洋次という現場の映画監督のコラボレーションによる全集という点でも、本全集とアナロジーをなす存在であるといえる。膨大な写真や図版を収めた『講座』は、厳粛な文書のみならず雑多な文書まで呑み込んだ『旧約聖書』にも比せられる集蔵庫(アーカイヴ)として大いなる価値をもつが、『講座』出版後の20余年で文化的生産物たる日本映画の位置は大きく変化した。テレビの普及とともにブロックブッキング体制によって秩序づけられてきた「プログラムピクチャー」は終わりを告げ、邦画の制作本数は年々減少していく。さらに、急速に家庭内に普及していったヴィデオという複製技術の存在が、個人と映像との関係性を決定的に変容させた。映画は、劇場に観に行くものから、個人が所有可能なものとなったのだ。そして、80年代の半ばから末にかけてのバブル景気の到来は、それまでとは異なるジャンルの才能の日本映画界への流入をもたらしたが、その後の景気停滞による従来資本の相次ぐ撤退は、日本映画に再び冬の訪れを思わせた。しかし、2000年代に入ると、邦画は、少なくとも制作本数の面においては、再び隆盛の時代へと突入している。それは「制作委員会方式」に象徴される新たなリスク分散型の映画制作手法によるところが大きい。
 四方田論文に続く李鳳宇(リボンウ)インタビューでは、現在の日本映画における李の異端ぶりが浮き彫りになる。四方田が聞き手を務める本論考では、パリ留学を経験した李が、日本に帰国後「カルチャーギャップを在るがまま見せ」、「そのギャップの中にこそ共有する価値観があるという感覚」のもと初めて製作した『月はどっちに出ている』に始まり、井筒和幸監督との『のど自慢』、『ゲロッパ!』、そして『パッチギ!』へと連なる話題作の製作過程が率直に語られている。李のように在日韓国・朝鮮人にたいする差別問題のテーマを正面切って扱うことがかえって異彩を放ってしまうという、日本映画ひいては日本社会の特殊性が、この対談では見事に逆照射されている。
 続く阿部嘉昭論文では、『世界の中心で、愛をさけぶ』、『いま、会いにゆきます』などの作品に代表される2000年代の日本映画のヒットが、「ベタ」を「ネタ」として楽しむ現代的シニシズムに呼応するものとして分析される。近年の日本映画作品の内容変化は、先述した委員会方式という新たな生産様式の定着と密接に関わっている。
 それに続く松本圭二論文は、散逸するフィルムを収集、補修するフィルムアーキビストとしてのリアルな体験から、自己と映画との宿命的ともいえるつながりを綴る異色の論考である。本来はフィルムの物質性と切っても切れないはずであった映画のメディア表現は、いまやデジタル化によって容易にHDD上で複製、加工できるようになっている。この松本論文は映画の在り方およびアーカイブの概念にたいする技術の視座からの存在論的問いであり、強烈な印象を残す。
 森達也論文では、映画『靖国YASUKUNI』をめぐって論じられた表現の自由、そして肖像権の問題が語られている。肖像権保護という名の下、ドキュメンタリー表現の豊かさを封殺しかねない事態を引き起こしたこの騒動の核心は、つまるところ、この作品の監督である李纓が中国人であったということに尽きると森は喝破する。権力をもつ側が表現者にたいして圧力をかけるという以前の、メディアによる事なかれ主義的自己規制が蔓延する我が国のメディア状況についての鋭い問題提起である。
 それぞれの論文についての梗概は冒頭の四方田論文でも詳しく論じられているのでこれ以上の叙述は省くが、他にも「日本映画」を自明のものと捉えることによって生じる「沖縄映画」の定義について高嶺剛監督作品をコーパスに論じた仲里効論文、批評という観点から日本映画はまだ理論化の途上にあるとするアーロン・ジェロー論文(角田拓也訳)などは日本映画の明証性に疑義を呈する読み応えのある論考であるし、1920年に来日して当時の松竹映画にハリウッド的なライティング手法(バック・ライトと光のコントラストを強調するラスキー・ライティング)を導入しようと試みるも、当時の松竹で支配的だった新派路線によって退場を余儀なくされた撮影技師ヘンリー小谷について論じた宮尾大輔論文も出色の評伝である。
 また、映画受容の変遷を劇場の変遷という切り口から論じた板倉史明論文は、日本が映画を「作品」として享受し始めた1910年代末から1920年代初頭にかけての「純映画劇運動」が、現在は至極当然のものと考えられている静粛な劇場という概念を作り出す契機となったという興味深い視座を提供しているし、卜煥模(ボクファンモ)論文では日本映画禁制下の韓国において横行していた日本映画からのいわゆる「パクリ」が、観客たちには知らされぬまま韓国映画にある種の厚みをもたらし、市場開放後は堂々と日本のコミック作品を原作とする韓国映画が世界で高い評価を受けるというユニークな事情を分析的に紹介し、日韓の映画制作が我々が考えている以上に相互作用の状況にあることを論じている。他にも長年米国で日本映画の上映に携わり、米国における日本映画の受容に計り知れない寄与をもたらした平野共余子氏による現状報告、そして日本の作品がアジア人監督によって制作され、またその逆も生じたりという近年のアジア映画のクロスオーバー状況を紹介する暉峻創三氏の報告など、どれも読み逃せない論考がぎっしりと詰まっている。
 メディア環境が有史以来といってもいいほど激しく変容する今の時代においては、映画の作品性についてだけ論じていてももはや新たな知見は生まれるべくもなく、あるいはその技術的変遷だけを分析していてもなかなか血肉の通った論とはなり難い。本書に収められた論文は、どれも映画を論じることがこれまでになく困難な時代だからこそ、逆に新たな展望を生みだすことが可能な2000年代というチャレンジングな時代を志向して綴られたものである。冒頭の四方田論文中の言葉にもある通り、この2010年において日本の映画研究の新たな『新約』を作ろうという意志に満ちた本全集の今後に、引き続き注目していきたい。